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怖いから発作が出るのか、発作が出るから怖いのか

  • 執筆者の写真: ぴょん・あえり
    ぴょん・あえり
  • 2021年7月8日
  • 読了時間: 8分

発作に苦しむ女性

はっきり言って思い出すだけで動悸やめまいに襲われそうなほど、強烈な発作。

パニック発作は、それに襲われた人にしか理解できない恐怖をともなう。


パニック障害をわずらって長い私は、これまで数えきれないほどのパニック発作を起こした(自慢じゃないが)。

ベッドの上で。トイレで。車の中で。電車の中で。エレベーターの中で。会社で。家で。

いろんなところで。


どうしてパニック発作が出るのか?

パニック発作だと理解しているのに、どうして毎回死ぬほどの恐怖に襲われるのか?

なぜ発作は理性に従わないのか?


一時期、こういった疑問が休むことなく頭をめぐっていた。

だって、発作で死ぬことはないと理解しているんだから、「このままじゃ死ぬ!」と恐怖を感じなくても済むはずじゃないか?

というか、そもそもトイレなんて危険な場所じゃないと理解できているのに、それでも発作が出るなんて話が合わない。


症状がずいぶん軽減してきた今ごろになってある本に出会い、発作のメカニズムの核心をある程度理解できたような気がするので、その情報をシェアしたい。



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<記事の目次>


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1. 参考にした本:「こころ」はいかにして生まれるのか


『こころ』はいかにして生まれるのか」の著者は櫻井武(さくらい たけし)氏、研究者であり大学教授でもある。

専門は睡眠の研究で、神経ペプチド「オレキシン」を発見した。


睡眠の研究が専門だが、この本は脳科学の観点から「こころ」にフォーカスする。

脳の基本的な構造と働き、「こころ」が生まれるプロセスなどについて解説されている。

専門用語は多めだが、専門知識がない人でも読めるよう用語の解説もあるので、そういう意味では読みやすい。



2. 怖いから発作が出るのか、発作が出るから怖いのか


「怖い」と「発作」は、基本的には別モノ。

なぜなら、「怖い」という感情と、「発作」という身体的反応は、脳の別々の場所で処理される情報だからだ。

「怖い→発作」の順序ではなく、

「発作→怖い」の順でもない。


・情報→発作(身体的反応)

・情報→怖い(という感情)

が脳の別々の場所で同時に処理される。基本的には。

※この「情報」の定義がまた複雑なのだが、ここではひとまず「情報」と一括りにする。


そして、「情報→発作(身体的反応)」のほうが、より瞬間的に起こる。

とくにパニック発作のような交感神経が活発化する反応は、生命の危機を最優先するという脳の仕組み上、瞬発的に起こるからだ。


たとえば、ふと足元を見ると、長細い何かがとぐろを巻いている――そんなシチュエーションでは、私たちは大抵すぐに「うわっ!!」と叫んでその場から飛び退く。そこで「ちょっと待て、これはヘビなのか?縄なのか?雑草か?」と目を凝らしていたら、その間に致命的な危険が迫るかもしれない。

飛び退いた後で、よくよく確かめてみたら単に縄がとぐろを巻いていた――となるほうが、リスクが低い。


そういうわけで、危機的状況では特に、身体的反応が何よりも早く起こる。

これで「細長い何か」が実際にヘビだったら、「ヘビが目に入ったから飛び退いた」という背景ストーリーが後付けされることとなる。

「細長い何か」が単なる縄だったら、「ヘビだと思ったから飛び退いた」という背景ストーリーが後付けされる。

でも実際には「細長い何かが目に入ったら身体が勝手に反応した」だけで、飛び退いた瞬間に「ヘビかもしれない!」なんて具体的に考えているわけじゃないのだ。



さらに、脳には、それぞれの情報処理に特化した専門分野がある。

・目で見た情報→映像を処理する分野へ

・耳で聞いた情報→音を処理する分野へ

というふうに、身体が受け取る情報は細分化され、各専門分野で処理される。

たとえばエレベーターに乗った場合、エレベーターの中の視覚情報、エレベーター独特のにおい、音、体感など、思っているよりたくさんの情報を感知する。そうした情報がそれぞれ適切な分野に送られるというのだから、驚きだ。


情報はそれぞれの専門分野で同時に処理され、ある分野は「発作」という身体的反応として、別の分野では「恐怖」という感情として情報に反応する。

ということになる。


つまり、ポイントは

・身体的反応(発作など)と感情(恐怖など)はセット商品ではなく別モノ

・危険であればあるほど、身体的反応のほうが早く起こる

・背景ストーリー(なぜ発作がでたのか? なぜ怖いのか? という理由づけ)は後から付け足されることが多い



3. 発作が起こるメカニズム


ここでは、繰り返し起こる発作のメカニズムについて語りたい。

2回目以降の発作については「記憶」の機能が大きく影響している。

※1回目の発作については次のセクションを参照


「恐怖」や「興奮」は、他のどの感情よりも記憶に残りやすい。

命を落とす危険を回避するための「恐怖」や、食べ物を発見したり生殖行動するための「興奮」は、サバイバルに欠かせない能力だからだ。


1回目の発作が起きる時、それはまったく予期しない発作ということもあって、本人は想像を絶する恐怖を味わう。私の場合、「やばい死ぬ!!」と瞬間的に感じ、救急車を呼んだ。

この1回目の発作の恐怖は記憶にしっかりと焼きつく。強い感情であればあるほど記憶が強化される、という仕組みがあるので、そうとうクッキリと焼きつくはずだ。


しかも、脳の扁桃体という部分は「生存にとって意味が大きいかどうか」を判断し、意味が大きいと判断した記憶に超重要マークをつける。

1回目の発作の恐怖は、記憶にしっかりと焼きつく上に、超重要な記憶として残るのだ。



もはや、2回目の発作が起こるのは必然とも思える。

2回目の発作が起こらない人は、1回目の発作に対して「生存にとってそこまで意味が大きくない」と脳が総合評価を下すからだろう――たぶん。

この受け取りかたの違いは、個人の気質や経験などがもたらす。

そういう意味では、パニック障害になりやすい気質の人とそうでない人がいる、ということになる。


1回目の予期せぬ発作が「超重要な恐怖体験」として記憶にしっかり焼きついてしまった場合、2回目以降の発作はその記憶が十分な能力を発揮する。

「どんな状況で」、「どんなときに」、「どんな情報を察知したら」、「どんなふうに身体が反応したら」、生命の危機を体験した。

こうした条件づけが脳のシステムに組み込まれる。

少しでもその条件のどれかに引っかかる情報を察知すれば、脳は警報を送り、生命の危機! として交感神経が瞬時に活発化されるのだ。

当の本人が、その情報の詳細を認識する前に(ヘビと縄の話を思い出してほしい)。


先ほど、危険であればあるほど身体的反応のほうが早く起こる、とお伝えしたのを覚えているだろうか。

生命の危機に関する場合、正確な判断よりもスピードが重視される。とぐろを巻いているのがヘビか縄かと目を凝らしてみるヒマはないのだ。

同じように、「超重要な恐怖体験」と似たような状況になった時、あれこれ考えるよりも先に身体的反応(つまり発作)のほうが先に出るのは、ごく自然な反応ということになる。



厄介なことに、こうした「恐怖の記憶」は体験すればするほど強化されていく。


発作(恐怖)→記憶が強化される→発作がさらに起こりやすくなる→発作(恐怖)が起これば起こるほど記憶が強化される


といった負のスパイラルから抜け出さないかぎり、発作が消えることはない。

これが本当に難しい。

難しいけれど、抜け出すことは可能だ。



4. 1回目の発作は何が原因なのか?


2回目以降の発作については恐怖体験という記憶が大きく影響しているとして、じゃあ1回目の発作はそもそも何で起こるのか? というのが気になるところ。

これは、今のところ調べても調べても原因不明だ。

が、さまざまな要因から交感神経系が敏感になっている状況で、具体的な発作のトリガーにつながる何らかの要因が重なった結果、1回目の発作として現れることが多い。


参考までに、専門家の見解のリンクを2つ貼っておく。




5. 「理解」だけでは越えられない壁


精神的なモノ、という表現は、あまりにも「気の持ちようで結果が左右される」的なニュアンスがありすぎる。

ゴキブリらしき黒い塊が視界に入っただけでゾワッと鳥肌が立ち、0.5秒もしないうちに1メートル後ろへ飛びのくのは、「どこかにゴキブリが潜んでいるんじゃないか」と常に気を揉みながら歩いているからじゃない。

自分の身に危険さ迫ったとき、身体的反応がなによりも早く現れるからだ。

サバンナでトラやライオンらしき茶色い毛むくじゃらが視界に入った時、「ちょっと待て、あれは本当にトラなのか?」なんてじっくり観察していたら、10秒後にはトラの餌食じゃないか。


「あなたの動悸はパニック発作というものです。」

そう診断されたら、病気だったんだと納得はできるものの、病気だと理解したから発作が出なくなるかというと、そうじゃない。

理解するだけでは越えられない壁がある。

本能レベルの壁、恐怖体験を記憶するメカニズムの壁、自分ではコントロールできない部分で起こる反応の壁だ。


そう理解すれば、

エレベーターの中は危険じゃないと分かっているのに、

渋滞にはまっても少しも危険じゃないと分かっているのに、

電車の中は危険じゃないと分かっているのに、

発作が起きるべきではない理由は山ほど言えるのに、発作が起きてしまう自分を――責めずにいられるんじゃないだろうか。





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